九州大学、独立行政法人酒類総合研究所との三者間研究の発表について
提供:独立行政法人酒類総合研究所
PRESS RELEASE(2024/12/26)
メタボローム解析を用いて優良清酒酵母株の選抜過程を飛躍的に効率化する方法を開発
〜高品質清酒醸造に適した酵母株の育種が可能に〜
ポイント
- ①今まで、清酒酵母の育種には、その選抜過程で多くの時間と労力を要していました。
- ②清酒のメタボローム解析(※1)(醸造酒メタボライト分析法)の導入により、目的酵母の選抜工程を飛躍的に効率化できることが明らかとなりました(特願2023-151687)。
- ③独立行政法人酒類総合研究所との共同研究の成果として開発された清酒酵母は、既に実際に株式会社喜多屋の商品製造に使用されています。
概要
現在、酒類醸造の現場では、特定の成分の生成量を調整するための遺伝子組換え技術を清酒酵母に使用することが制限されています。そのため、清酒酵母の育種では、紫外線照射や変異剤処理などでランダムに遺伝子変異を起こした株を作製し、そこから目的の特性を持つ株を選抜する方法が広く用いられています。しかし、この方法では目的とする特性以外の性質も変化してしまう場合も多く、変異株の中から優れたものを選抜するためには、非常に多くの候補株の清酒製造試験を実施して、成分を詳細に分析する必要があり、時間と労力がかかることが課題となっていました。
この課題に対して、九州大学大学院農学研究院の竹川 薫教授、木下理紗子氏(博士(社会人)課程1年)ならびに独立行政法人 酒類総合研究所の岩下和裕氏、金井宗良氏からなる研究チームは、メタボローム解析を活用した新しい選抜手法を開発しました。この方法では、親株から得られた多数の遺伝子変異株を少量の合成培地で培養し、菌体抽出物を液体クロマトグラフィー質量分析(LC-Q/TOF-MS)を用いて網羅的に解析しました。その結果、目的とする特性以外の代謝産物の組成が親株に近い酵母を選抜することで、遺伝子組換えを行わずに目的特性だけをピンポイントで改変した酵母株を効率的に得ることが可能となりました。
本研究の結果、3年にわたる研究期間を経て、香気成分や有機酸などの重要な成分の目標をクリアし、実用化に十分な醸造特性を備えた4つのオリジナル酵母の選抜・開発に成功しました。これらの酵母はすでに株式会社喜多屋での商品製造に活用されています。
本研究成果は日本の英文誌「Journal of Bioscience and Bioengineering」に2024年12月2日(月)(日本時間)に掲載されました。
竹川教授からひとこと:
これまで日本酒製造では、限られた清酒酵母の選択肢から理想に近いものを選抜することしかできず、酵母育種には多くの制約がありました。本研究で提案された効率的な酵母育種法が普及することで、研究機関や清酒メーカーによる酵母の能力改変がより活発になり、理想的な特性を持つ新しい酵母の開発が加速することが期待されます。
さらに、日本酒の多様化や高付加価値化が進み、国内外での日本酒市場の拡大に大きく寄与する可能性があります。また、独自性のある日本酒の開発を通じて、伝統的な酒造文化を未来へと継承しながら、さらなる発展を支える基盤となることが期待されます。
【研究の背景と経緯】
近年、より付加価値の高い清酒を開発するため、多様な性質をもつ優良清酒酵母の育種が盛んに行われていますが、非常に多くの課題が存在します。
一般的な酵母の育種方法では、紫外線照射や変異剤処理を用いて酵母に変異を誘発した株を大量に取得し、その中から薬剤・アナログ耐性などの指標を基に目的の形質を持つ株を選抜します。しかし、この方法で生じる変異はランダムで多岐にわたるため、ターゲット遺伝子以外にも変異が導入されることがあります。その結果、選抜された株の中には、発酵能力が低い株やオフフレーバー(※2)を多く生成する株など、清酒製造には適さない性質を有するものも多く含まれます。
特定の形質のみを改変するには、遺伝子組換え技術が有効な手段です。しかし、現在のところ遺伝子組換え酵母の産業利用には法的・社会的なハードルが多く、実用化は難しい状況です。また、目的形質を有する株同士を交配させる方法も有望ですが、多くの清酒酵母は胞子形成や胞子発芽能が極めて低いため、この方法も清酒酵母では実現が困難です。
さらに、ラボレベルで目的を満たす優良酵母株を選抜できたとしても、最終的に実際の清酒の醸造に使用可能かを確認するためには、多くの候補株について醸造試験(小仕込み試験など)を実施し、得られた清酒の成分や官能試験を行う必要があります。清酒には、香気成分、糖類、有機酸、アミノ酸、アルコールなど多種多様な成分が含まれ、それぞれの分析には異なる手法が必要とされるため、試験には膨大な手間と時間がかかります。
このように、実用的な優良清酒酵母を選抜するためには、多大な労力が必要です。そのため、簡便かつ効率的な育種方法の開発が長年求められてきました。
【研究の内容と成果】
本研究では、目的とする形質のみを改変し、それ以外の形質(醸造特性など)は親株の性質を引き継いだ酵母を効率良く選抜するために、清酒のメタボローム解析を用いました。清酒のメタボローム解析は、不揮発性代謝物の分析に適した液体クロマトグラフィー四重極/飛行時間型質量分析(LC-Q / TOF-MS)(※3)を用いて清酒の代謝物を網羅的に解析する方法で、主成分分析やクラスター解析などの多変量解析を行うことでサンプル間の差異を区別することが可能です。この方法は、現在では約200の清酒成分を一度に検出することができ、これまでに原料米と清酒成分の相関関係(Yazawa et al., J Biosci Bioeng, 128, 183-190, 2019)や、官能評価と清酒成分の相関関係の検証(Kobayashi et al., J Biosci Bioeng, 134, 116-124, 2022)などで本技術の活用が報告されていますが、「清酒酵母の育種」に利用した報告は本研究が初めての例となります。
まず本研究で目的とする酵母の特徴としては、吟醸香(カプロン酸エチル)の高生産性能やオフフレーバーの低生産性などの醸造特性を持った親株から、カプロン酸エチル生産性を少し穏やかにしつつ、それ以外の醸造特性などの形質は親株と変わらない酵母菌株の取得を目的としました。具体的には、まず親株に対して、エタノールストレスによる変異導入処理を行い、得られた変異株の中からセルレニン耐性濃度を条件として候補株を110個スクリーニングしました。その候補菌株を、最小培地(合成培地)を用いて培養し、その酵母内容物をメタノール(※4)により抽出し、得られた酵母抽出液を高性能液体クロマトグラフィー-四重極飛行時間型質量分析(UPLC-QTOF-MS)を用いた醸造メタボローム解析に供し、各酵母菌株の代謝産物の動態を網羅的に解析しました。最後に、メタボローム解析の結果をもとに主成分分析及びクラスター解析を行うことで、候補菌株の代謝産物組成が親株に近い酵母を選抜することができました(図1)。
さらに実証試験として、110個の変異株からランダムに複数の株を選択して、小スケールの清酒仕込み、試験により得られた製成酒をメタボローム解析に供して酵母抽出液の解析結果と比較したところ、合成培地で培養した酵母抽出物を用いたメタボローム解析の結果と傾向が似ていることが示唆されました(図2)。この結果から、少量の合成培地で培養した酵母抽出物のメタボローム解析結果の傾向を見れば、実際の清酒製造にて目的の成分のみが増減されそれ以外の特性は親株とほぼ変化のない優良酵母を選抜できることが明らかとなりました。以上より、非常に多くの候補株について醸造試験を行う工程を省略させることが可能となるため、清酒酵母の育種の顕著な効率化が可能となりまし
図1. メタボローム解析を利用した優良清酒酵母の選抜の流れ
図2. 少量の酵母抽出液のメタボローム解析結果の系統樹と、その中からランダムに選んだ株を用いて醸造試験を行い、得られた生成酒のメタボローム解析結果の系統樹
【今後の展開】
本研究では、清酒酵母を少量培養し、菌体抽出物を用いたメタボローム解析により、親株に近い特性を持つ株を効率的に選抜する手法を確立しました。しかし、試料中に含まれる低分子化合物の中で、どの物質が清酒の香味にどのように影響を与えているのかは、まだ十分に解明されていません。
今後は、清酒の香味の違いに寄与する未知の化合物を特定し、酒質を自在に調整できる酵母の開発を目指します。このような取り組みが進むことで、日本酒造りの幅がさらに広がり、理想の酒質を追求する新たな可能性が開かれると考えています。
【参考図】
図3. メタボローム解析により選抜されたオリジナル酵母株を使用した清酒
【用語解説】
(※1) 清酒のメタボローム解析
清酒に含まれる多様な成分(代謝産物、メタボローム)をUPLC-QTOFMS(超高速液体クロマトグラフィー精密質量分析装置)を用いて一斉分析し、その成分値を用いて統計解析を行うことで、清酒成分の全体像の理解を目的とする解析手法。
(※2) オフフレーバー
本来その食品・飲料が持つべき風味とは異なるにおい・味のこと。
(※3) 液体クロマトグラフィー四重極/飛行時間型質量分析(LC-Q / TOF-MS)
試料の分離手段として液体クロマトグラフ(LC)を用い、その溶離液を質量分析計(MS)に直接導入するシステム。質量分析部の前段としてイオンの分離や開裂を起こさせることができる四重極型を搭載し、質量分析部の後段には高い分析性能を有する飛行時間型質量分析計(TOF)を搭載している。多くの微量成分の一斉分析による定性・定量が可能。
(※4) メタノール
有機溶媒などとして用いられるアルコールの一種。一般に天然固体試料からの抽出において、極性の高い化合物の抽出によく用いられる。
【論文情報】
掲載誌:Journal of Bioscience and Bioengineering
タイトル:Efficient yeast breeding using a sake metabolome analysis for a strain evaluation
著者名:Risako Kinoshita, Muneyoshi Kanai, Kaoru Takegawa, Kazuhiro Iwashita
DOI:10.1016/j.jbiosc.2024.10.010
【お問合せ先】
<研究に関すること>
九州大学九州大学大学院農学研究院 教授 竹川 薫(タケガワ カオル)
TEL:092-802-4732
Mail:takegawa@agr.kyushu-u.ac.jp
株式会社喜多屋 技術研究室リーダー 木下 理紗子(キノシタ リサコ)
TEL:0943-23-2154
Mail:risa.k@kitaya.co.jp
<報道に関すること>
九州大学 広報課
TEL:092-802-2130 FAX:092-802-2139
Mail:koho@jimu.kyushu-u.ac.jp
2024/12/26